「学校がすべてではない」発言に思う

少年革命家YouTuberが「学校がすべてではない」と2022年11月5日の発信で言及されているとのことです。
氏は「不登校は不幸ではない」発言で話題となり、教育などに関する見解を発信なされています。
氏の発言に関しては前々から共感しておりますが、今回は特に共感しておりまして、扱っております。

「学校がすべてではない」

今回の氏の発言に関する感想です。
●「学校は行きたい子が行けば良い」
→同感です。
ただし、現状のままでは問題が一部あります(氏に問題があるという意味ではなく、教育行政に問題があるという意味で)。
それは「不登校を問題行動とみなしてはならない」という通達が出されている一方、就学義務が学校教育前提なのは変わっていないことです。
学校教育法の就学義務の規定を見直し、整合性を確保すべきです。
●「学校に行くこと以外にしたいことがあるのならそれをしたら良い」
→氏の発言を否定している人間は「(革命家は・YouTuberは)学校教育を受けながらでもできる」という傾向です。
しかし、学校教育を受けながらでは「学生(生徒)の本分」が問われて、本人の意思に関係なく学校生活に重点を置くことを求められるのが現状です(「従うのかどうかは自由」といわれるのかもしれないが、学校側と対立しながら学校で過ごすのはつらいのではないだろうか)。
打ち込みたいものごとに打ち込むことができる状況に身を置くのは理にかなっていることです。
●「学校に行っていなくても友達を作れている」
→氏の発言を否定している人間は「学校は人間関係を構築する場」と発言している傾向です。
しかし、学校という狭い世界にとらわれるよりは広い世界のほうが学べることが多いでしょうし、分母の多さに比例して価値観・立場の合う相手にめぐり会うことのできる可能性が高まるのではないでしょうか。
氏は学校教育にとらわれない学び方・生き方のメリットを、身をもって証明しているのです。
●「学校がすべてではないから自由に楽しく生きたら良い」
→学校に無理やり行く(行かされる)より学校教育にとらわれないほうがいきいきと過ごせることでしょう。
本人の適性に合う学び方・居場所の整備が必要です。

立場が異なっても共感している事情

氏の発言を否定している人間は少なからずですが、否定している人間しかいないわけではありません(「不登校は不幸ではない」発言が話題となってまもないときと比べると肯定している人間の割合が高まっている模様)。
しかも幅広い人脈を形成されています。
一方、当ブログ運営者は、氏とは異なり人間関係・居場所に恵まれているわけではありません。
「立場が異なるのになぜ氏に共感するのか」と思われるのかもしれないですが、氏の発言に共感しているのにはある重大な点があります。
それは学校至上主義の世の中に対して声を挙げている点です。
置かれている環境のほか、活動の方法も影響力も異なりますが、学校教育への依存度の高い世の中に疑問という点では(こちらの勝手ながら)共通性を感じております。

「○○に思う」という題の記事に関しては2022年11月14日の記事でものごと(報道・発表・動きなど)への否定論を扱っておりますが、当記事のように肯定論を扱う場合もあります。